■ 名護市庁舎 1981年 設計:象設計集団 + アトリ エモビル
昨年末にかつての同僚が名護に遊びに来たので、
そのかつての職場であるデザイン事務所が所属していたTeam Zooの建築を案内しました。
まずは名護市庁舎。
名護市庁舎は、1970年に名護町、羽地村、久志村、屋部村、屋我地村が合併し、名護市が発足したことを機に、
1976年から市庁舎建設の準備が進められ、1978年に公開設計競技(コンペ)が行われ、
最終的に選ばれた象設計集団 + アトリエ モビルによる設計案によって建てられた建物です。
この名護市庁舎は1981年に日本建築学会賞を受賞し、Web上にも多数取り上げられており、
ここで私が中途半端に説明することも憚るので、詳しくはそちらを参照していただきたいのですが、
当時作られた名護市庁舎コンペの要項の「設計競技の趣旨」を以下にコピペしましたので、
こちらは是非お読みください。
「[目的と意義]
本競技の目的は、次の通りである。
すなわち、沖縄の地域特性を体現し、かつ要求される諸機能を果たすことが出来るとともに、
市のシンボルとして良く市民に愛される市庁舎を建設するための基礎となる案、
および敷地全体計画のすぐれた構想案を求めることにある。
また、本競技を公開にすることの意義は、「沖縄における建築とは何か」、「市庁舎はどうあるべきか」という問いかけに対して、
それを形として表現し、実体化しうる建築家とその案を広く求めることにある。
従って、すでに十分な実績を残している建築家はもとより、これから頭角を現すであろう気鋭の建築家で、
地域の建築について志を同じくする方々の積極的な提案を期待するものである。
[沖縄の地域特性と市庁舎建築]
沖縄は亜熱帯に属し、多くの島々と周辺海域によって成り立ち、日本でも得意な自然環境に置かれている地域である。
古来、人々はこの自然に生き、人と自然、人と人との長い関わりの中から独特の風土が形成され、地域の個性的な感性と建築様式が生まれてきた。
しかし、現在の沖縄の建築は、このような歴史過程の結果として存在しているだろうか。建築の型、合理性、美しさは受け継がれているだろうか。
ことは建築のみに尽きるのではない。
機械技術の革新を背景とした近年の産業主義は、速やかな伝達手段を媒介として、著しく社会変容をもたらし、
風土はすでに収奪の対象となるかあるいは歴史遺産として保護されるべきものとなった。
地域文化が破壊していくのも、理由のないことではない。
このような状況にあって、主催者が市庁舎を建設するにあたってまず求めることは、
沖縄の得意な自然条件とその風土を再考し、その上に立って沖縄を表現しうる建築家の構想力である。
市庁舎の建築にあたって、風土が問題にされる背景には、地域が自らの文化を見すえ、
それを中央文化との関係のなかで明確に位置づけてこなかったと言う問題があろう。
地域が中央に対決する視点を欠き、行政が国の末端機構としてのみ機能するような状況にあっては、
地域はその自立と自治を喪失し、文化もまた中央との格差のみで価値判断がなされることになるだろう。
しかし、地域に生きる市民は、すでにこのようなあり方に訣別を告げるべきだと考えている。
従って、主催者の期待している新しい市庁舎は、地域の人々が自ら確認し、かつ自らを主張していくための活動の拠点となり、
地域の自立と自治を支える拠点としての庁舎である。
主催者は、今回の競技において、沖縄の風土を確実に把え返し、地域の自治を建築のなかに表現し、
外に向かって「沖縄」を表明しうる建築をなしうる建築家とその案を求めるものである。」
この文章は当時名護市役所におられた原昭夫さんが書かれたものだそうですが、
名護市民として誇りに思うとともに、この志を私を含めどれだけの名護市民が受け継ぎ、
実践できているか、甚だ疑わしい限りであります。
名護市庁舎のシンボルでもあった漆喰シーサーは、台風と塩害などの影響で劣化が甚だしく、
一部が落下するなど危険な状態だったことから、昨年3月に撤去・保管されています。
シーサを並べ海と対峙するかのようにそびえる南側のファサードとは対照的に、
北側は市民を緩やかに誘導する開放的な空間が広がります。
市役所の入り口でもあるアサギテラスに囲まれた前庭は、名護の街と溶け合う見事な空間でしたが、
以前からここにプレハブが建てられ、魅力的な空間が台無しになくなってしまったのが残念。
セメント瓦発祥の地である名護の街を彷彿させる、屋根。
北側と南側、内と外と多様な空間が連続します。
そして光りと影が見事に演出され、これが「役所」であるというのが大変誇らしい!
36年前に初めて訪れ、その10年後に名護市民となり、
自らが居住する役所として利用することになるとは、当時は想像すらしていませんでした。
■ 今帰仁村中央公民館 1975年 設計:象設計集団
こちらは象設計集団が最初に手がけた公共施設。
赤い列柱が特徴的で、かつては屋根にブーゲンビリアを這わせていましたが、
現在はすっきりしています。
築45年が経ち、赤い柱も大分色あせていましたが、
全国の塗装業者らでつくるボランティア団体「塗魂(とうこん)インターナショナル」が、
13日から3日間、この今帰仁村中央公民館の柱の塗り直し作業を行い、
このブログを書いている16日にはすでに建築当初の美しさを取り戻したそうです。
この公民館も観光客として訪れるのではなく、
県主催のジュゴン懇談会では、
私たちの調査活動の発表の場としても利用させていただいています。
■ 琉球銀行今帰仁支店 詳細不明 設計:アトリエ モビル
ネットで検索したものの、詳細は不明でしたが、今帰仁村に所在するアトリエ モビルの作品です。
今回見学した3つの作品の中では最も劣化が少なかったことから、1980年代後期頃の作品と思われますが
いかがでしょうか?
さて、年代を経ても今なお魅力を放つTeam Zooの作品ですが、今週末に象設計集団の初期の仕事である
埼玉県の宮代町コミュニティーセンター「進修館」の40周年 プレイベント
第16回甲馬サロン「世界のどこにもないもの」が開催されます。
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案内パンフレット●
進修館公式ホームページお時間のある方はぜひお立ち寄りくださいね。
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- 2020/01/16(木) 22:43:43|
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